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- 2019.10.02 Wednesday
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2018.2月23日(金)
【今日はねえ・・・・・】
すごいですね!
この白さは、PM2.5か、春霞?
2.5のようですねえ。
天気予報で言っておりましたもの・・・・。
これで、鳥たちは、北へ行くのでしょうか、
心配です。
幡鉾川の入り口、坊主橋辺りに、
ノスリがいました。
かわいいノスリです。
足元がドレスのようです。
もう一羽いたように見えたのですが・・・・?
いたいた、2羽でしたね。
オス、メスなのかな?
カメラから目を離したすきに、
どこに飛んだか、わからなくなりました。
帰り道、
「ツルが飛んで行ったよ〜!」
仲よしの木こりのおじさんが教えてくれました。
深江田原に戻ると、
来ました、来ました。
26羽いるようです。
下りそうなんですが、
下りません。
西に向かっていきました。
今日は、戻って来るのを待てないので
帰りました。
どこかに降りて、お泊りだと思います。
どこで会えるかな・・・・・?
2014.2月3日(月)
【今日はねえ・・・・・】
深江田原には、
カワラヒワがいくつもの群れを作って、
飛び回っていました。
永田ダムには、
シジュウカラ、
ミヤマホオジロ、
ホオジロがいました。
小鳥たちがにぎやかです。
旧箱中奥のため池にも、
オシドリがくつろいでいました。
今にも雨が降りそうな1日でしたから、
野鳥たちも、奥の方にいるようでした。
★★里山景
「生物多様性フォーラム」の、
植物と自然の講話に、里山が出て来ましたが、
現職時代から興味があって、
壱岐の屋敷林や背戸の山は知っていました。
壱岐の人はみんな子供の頃から、
身近なものだったのですが、
人間と共存・共生する生物たちとの
かけがえのないものであることは、
しっかり向き合っているとは
いえないかもしれませんね。
四方を海に囲まれ、平坦な島なので、
風が強く吹きます。
そこで、島の人たちは、
家の周りに木を植えて風を防ぎました。
「屋敷林」といいます。
北風が強いので、山を背にして家を建てました。
裏山を、「背戸の山」といいます。
ですから、島の南にある岳の辻から見ると、
家々を見ることができますが、
北にある男岳(おんだけ)から見ると、
山ばかりで家が隠れています。
出雲のツイジマツ、大崎平野のイグネ、
砺波(となみ)平野のカイニョが、
日本三大屋敷林といわれていますが、
壱岐の「背戸の山」も、
入れていただきましょうかね、四大で、ははは!
この島に、
この生活が続く限り、
生物たちとの共存・共生も、続いていくでしょう。
★★梅の花
白い梅、
ピンクの梅、
アップ!
紅い梅、
あちこちで咲いています。
クチナシの実も、色を添えています。
また、寒くなるそうなので、
春はもうちょっと先かな・・・・。
★★姫ちゃん
ママが、アンパンマンのマントを作ったようです。
「ヒメチャンマン」だあ!
2012.6月27日(水)
【今日はねえ・・・・・】
昨日お知らせした、「中山のかくれ穴」は、
調べてみると、
「元寇」の際、
元軍の襲来で、山に逃げ込んだ島民が、
穴に身を隠し、時が過ぎるのをまったという
言い伝えがあるそうです。
他にも、住吉・国分・勝本にも、
同じような隠れ穴があるそうです。
瀬戸浦には、元寇にまつわるものが多く残っています。
千本供養塚、
千人塚、
少弐公園、瀬戸浦古戦場、
他にも壱岐神社などがあります。
元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、
当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)、
及びその服属政権となった高麗王国によって
二度に渡り行われた対日本侵攻の呼称です。
古い、古い時代があるんですね。
◆◆◆◆◆
他にも、瀬戸浦には、景観資産と言われるものがあります。
★★前田家住宅
明治時代後期の建築物です。
くぐり戸のついた玄関、板戸と障子のしとみ(格子に板を張った釣り戸)、
所有する船の名前を描いた飯喰壁など、
壱岐地方における漁家住宅の特徴が往時のまま残っています。
すっごいですねえ・・・・。
★★産湯の井戸
松永安左衛門さんの産湯なんでしょうね。
★★お屋敷??
武家屋敷のような建物です。
瀬戸に、あるんですねえ。
★★蔵??
漆喰の壁が、歴史を見ますね。
お店のようでもあります。
通りには、誰もいなくて、
尋ねることはできません。
市役所の観光課などで聞かないとね。
★★昭和の建造物??
木造の古い建物が、結構残っているように見えます。
お店の名前を描いた漆喰の壁です。
なんだか、時代を超えたような感じです。
瀬戸の街並みは、観光スポットです。
◆◆◆◆◆
雨の隙間に青空が見えます。
明日も、雨かなあ・・・・?
やさしい色のアジサイです。